下妻市


プロフィール

東に小貝川、西に鬼怒川が流れ、その間にある市街地は北から伸びる洪積台地の末端となっています。小貝川沿岸の低地は「万葉集」によまれた鳥羽の淡海跡で、水田地帯となっています。下妻を代表するのは砂沼で、干拓地の用水確保のために、江連用水の水を引き、貯水池となったもので、フナやコイなどの釣り場として親しまれ、県開発公社によるレジャー型のプールを完備した砂沼サンビーチなど市民の憩いの場となっています。鬼怒川や小貝川沿いでは水辺に親しむイベントが行われたり、水と緑に親しむ環境が整っているところです。平安時代から南北朝時代にかけて存在した大宝城は、国の史跡に指定されるほどの古い歴史を誇り、南北朝時代の城主・下妻政泰は南朝方に属し、1341年、春日顕国が興良親王を奉じて大宝城に入ってから、東国における南朝方の拠点となりましたが、北朝方の猛攻撃に遭い、1343年に落城。現在は大宝八幡神社の境内の一部となっています。明治期には県西地区の政治、経済、文化の中心地となりましたが、水戸線のルートからはずれたために、一時は鉄道交通の時代から取り残されたところでです。1954年に下妻町に大宝村、騰波ノ江村、上妻村、総上村、豊加美村、高道祖村が編入して市制施行し、2006年に千代川村を編入して現在の市が形作られました。