親鸞聖人ガイド

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親鸞聖人ガイド

親鸞聖人

浄土真宗の開祖・親鸞聖人。1173~1262年までの90年間、生涯のすべてを浄土真宗の布教活動に捧げました。親鸞聖人は、農民や民衆に「何よりも阿弥陀仏の救いを信じて念仏すべきだ」と教えました。教えのひとつの悪人正機は親鸞聖人がその教えを説いた「歎異抄(たんにしょう)」の中でも説かれています。また、浄土真宗の根本聖典である「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」は親鸞聖人が約20年間暮らしたとされる笠間市の稲田草庵で書き始められました。笠間には、親鸞聖人の伝説が多くあります。なかでも山伏の弁円との対決「板敷山の法難」は有名な話です。今もなお、親鸞聖人の言葉で人生の目的を知ったという人は少なくありません。 お釈迦さまが説き、親鸞聖人が明らかにした真理は 現代の私たちの人生にも通じることなのかもしれません。
ところで、今年は親鸞聖人の750回忌という節目の年。親鸞聖人縁の地を巡れば、その存在をより身近に感じることが出来るかもしれません。本堂の見学や、お話を伺う際には、気持ち程度のお布施を用意するのが作法です。

親鸞聖人

「稲田禅房西念寺に奉納された親鸞聖人の絵」

親鸞聖人研究家・筑波大学名誉教授 今井雅晴さんに聞いた

筑波大学名誉教授 今井雅晴さ

親鸞聖人は2歳~29歳までの20年間、比叡山で厳しい修行を積んでいました。しかし、20年の修行を積んでも様々な苦悩を抱いていました。戦乱で貧しい思いをする民衆、何も出来ない自分…。そこで、親鸞聖人は山を降り、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)から念仏の教えを学びます。親鸞聖人の話を優しく聞いてくれた法然上人。親鸞聖人は法然上人を信頼する様になり、人を信頼して生きることの大切さを学びます。そして親鸞聖人は感謝することも大事なことだと深く学びました。とにかく「恩を受けたら返しなさい!」と説き、自らも「感謝」と「信頼」を生き方の基本としました。 親鸞聖人が関東にやってきたのは42歳の頃。関東の中にも親鸞聖人が住んだとされる場所はいくつかあります。しかしその中でも長く住んでいたのが笠間の稲田草庵(現在の西念寺)でした。親鸞聖人が笠間を選んだのは、文化も栄えており、「教行信証」を執筆する上で稲田神社に様々な資料があったことによります。そのため、稲田草庵を中心に、半径40キロの範囲には、親鸞聖人から教えを受けた門弟が数多く居り、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)が書いた手紙も多く残っています。 この時代、もちろん僧侶は結婚してはなりませんでした。しかし、親鸞聖人は結婚をし、子供もいました。また、恵信尼は貴族の生まれです。しかし、恵信尼は5人もの子供の世話をしながら親鸞聖人を支えていたのです。歴史上では「つかえていた」という表現が使われますが、私は純粋に親鸞聖人という人間を心から支えていたように思います。この時代も女性は強く生きていたのではないかとも思います。見習うべき、まさにお手本となるような夫婦でした。 ところで、親鸞聖人は普遍的に尊重されるべき考えを持っていたと思います。この時代から多くの人に受け入れられるような考えを持って生きていたこと。これは凄いことでしょう。親鸞聖人の生き方・考え方は、時代も宗教も関係なく、誰でも自分の生き方の参考にできるはずです。私にとっても親鸞は「生きる心のよりどころ」です。

親鸞聖人ゆかりの地を尋ねてin笠

西念寺

西念寺

笠間で親鸞聖人の縁の地といえば、稲田禅房西念寺です。西念寺は親鸞聖人立教開宗の聖地とされています。現在、その姿を見ることはできませんが、親鸞聖人が「教行信証」の執筆と関東布教を進めていた際に、本拠地とされていた稲田草庵がありました。親鸞聖人が妻の恵信尼公、そして子供たちと共に約20年もの間、家庭生活を営んでいました。入り口の茅葺きの山門をくぐると、正面に本堂があります。その右側に「浄土真宗開闢之霊地」の大きな石碑。左側には太鼓堂があり、丘を登ると親鸞聖人の御頂骨堂が建っています。また、境内にある親鸞聖人がお手植えしたといわれる「お葉付き銀杏」があり、この巨木は県の天然記念物にも指定されています。このほかにも太子堂や玉日御廟など多くの史跡があるお寺です。

山門

石畳の参道を抜けると茅葺きの山門があります。鎌倉~室町期の建設とされています。

見返り橋

見返り橋。親鸞聖人がこの地を離れる際、見送る家族を振り返ったとされる場所です。

御頂骨堂

丘の上には親鸞聖人の御尊骨の一部が眠るという御頂骨堂、別名・六角堂があります。

茨城県笠間市稲田469
住所 笠間市稲田469
電話番号 0296-74-2042
駐車場
ホームページ http://www.inadagobo.org/

唯信寺

唯信寺

唯信寺は親鸞聖人の直弟子・唯信房の開いた真宗のお寺です。戦災等をのりこえた親鸞聖人御影などの法宝物を蔵しています。境内には、樹齢約800年の椎の木をはじめ、樹齢約200年の枝垂れ桜などがあり、3月下旬から4月上旬にかけて桜見物を兼ねて、毎年多くの方々が訪れています。

開基・唯信房の像

唯信寺の外には、親鸞聖人が旅立つときの姿を表した像が建てられています。

親鸞聖人

開基・唯信房の像。親鸞の教えに感激し、稲田草庵へ出かけては教化を受けていました。

開基・唯信房の墓

開基・唯信房の墓。22歳で法名を賜り弟子となった唯信は、ここに静かに眠ります。

住所:笠間市大田町436
電話:0296-77-0595
駐車場:有

光照寺

光照寺

常陸の国に滞在したと言われる親鸞聖人。ここ光照寺は親鸞聖人がご滞在されたと言われるお寺のひとつです。そして、『関東お草鞋(わらじ)ぬきの聖跡(関東で一番最初に親鸞聖人が草鞋を脱いだ場所)』といわれています。光照寺には親鸞聖人の作ったといわれるご本尊や、手紙など貴重なものが保管されています。

阿弥陀如来像

本堂にある『真宗開闢の御本尊』。親鸞聖人が作ったといわれる阿弥陀如来像です。

本堂前にある岩

本堂前にある岩の文字は、親鸞聖人の書いた文字を転写し彫ったものだそうです。

8代目住職の土肥真さん

8代目住職の土肥真さん。

住所:笠間市笠間2591
電話:0296-72-0536
駐車場:有

玉日御廟

玉日御廟

親鸞聖人の妻とされる玉日姫(たまひひめ)のお墓です。親鸞聖人がいつどこで妻帯されたかは不明ですが、稲田草庵で家庭生活を営まれたことは間違いありません。親鸞聖人が京都にお帰りになるときに玉日姫は自らも剃髪し恵信尼(えしんに)になられたとも伝えられています。しかし、玉日姫と恵信尼が同一人物であるか否かは諸説あるようです。

参門前の案内板

山門前の案内板。玉日姫と恵信尼公の関係や玉日講の存在について書かれています。

参門の奥にあるお堂

山門の奥にあるお堂。人通りは少なくひっそりとしていますが、手入れが行き届いています。

墓石

立派な墓石が、すばらしい女性であったといわれる玉日姫の人柄をうかがわせます。

住所:笠間市稲田2245
電話:無
駐車場:無

林照寺

林照寺

親鸞聖人が参照した仏教書が多くあったといわれる稲田神社が近くにあります。林照寺の先代住職は稲田神社の神官であったと推測させる文献が残っていることから、親鸞聖人と深く関わりがあったのではないかと推測されます。また、本堂は絢爛豪華を嫌った親鸞聖人が使用した「三間四面」を偲んで建てられたといわれています。

四福の御絵伝

本堂にある掛け軸「四福の御絵伝」。関東では、ここ林照寺にしかないのだそうです。

本堂の天井

本堂の天井。「念仏を唱え如何なることがあっても前進せよ」という意味を表しているのだとか。

29代目住職の林眞通さん

29代目住職の林眞通さん。林照寺にまつわる興味深いお話を聞かせてくださいました。

住所:笠間市稲田562
電話:0296-74-2278
駐車場:無
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