長龍寺

県南

守谷市

天正(てんしょう)18年(1590年)3月、豊臣秀吉の大軍が小田原城の北条氏政、氏直父子を征伐するため関東に進攻しましたが、そのとき一方の大将となった浅野弾正少弼長政、木村常陸介重滋が連署の「禁制文書」が残されています。

まるわかり情報

長龍寺正門から杉の木立の長い参道を入ります。

長龍寺本堂
長龍寺本堂:将門の位牌や家康朱印状なども残されています。

「禁制文書」(きんせいもんじょ)
「禁制文書」は社寺が軍兵らによって荒らされることを防ぐために出されたもので、乱暴や狼籍、放火、寺に対し無理強いをしたり畑の作物を刈り取ってはならないという内容で、これに背くと厳しく処罰すると厳命しています。 (守谷市指定文化財)

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