水郷潮来十二橋めぐり

天正7年(1579)、時の代官・吉田主馬亮の指揮により、新田開拓が始められ、現十二橋のある加藤洲は寛永3年(1626)に整地されました。隣家との往復のため設けられた橋が十二あるところから「十二橋」の名がつけられました。水戸黄門もこの地をよく訪れ、一説には「潮来出島のまこもの中に、あやめ咲くとはしほらしや」の歌も水戸黄門の作といわれています。